由緒・縁起、沿革
真山神社社伝によりますと…。
古事記・日本書紀に記される12代、景行天皇の御世に、武内宿禰(たけのうちのすくね)が北陸北方地方視察のあと男鹿島に立ち寄った際、男鹿半島の秀峰、湧出山(現在の真山・本山)に登ったそうです。そのときに、武内宿禰が使命達成、国土安泰、武運長久を祈願するために、この地に瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)の二柱を祀ったことが始まりだと言われています。
■平安時代を過ぎると、修験道の霊場に
平安時代以降、仏教が日本全国に広まりはじめ男鹿半島にもその波が及んだ貞観年中(859年〜877年)には、円仁慈覚大師によって湧出山は二分され、北を真山、南を本山と称するようになったと伝えられています。それ以降修験の信仰が高まり、天台宗僧徒によって比叡山延暦寺守護神の赤山明神と習合されました。
南北朝時代には、真山の別当が置かれた光飯寺(こうぼうじ)は天台宗から真言宗に転じ、東北地方における時の支配者も移り変わる中、その庇護の下で修験の霊場として一山繁栄を誇ったようです。
■江戸時代は佐竹藩ゆかりの祈願所、明治以降は現在の真山神社の姿に
江戸時代には国内十二社に指定され、佐竹藩ゆかりの祈願所として数々の寄進崇敬を受けました。それにより、幾多の堂塔伽藍が営まれるようになったそうです。
明治維新以後は、神仏分離令が発せられたことで元の神域に復し、名称も赤神神社から真山神社と改められました。それと同時に、秋田県の県社に列格されることになりました。
真山神社の本殿は、真山(567m)山頂に鎮座しており、国家安泰、武運長久、五穀豊穣、海上安全の守護神として崇敬されています。平成19年に改築した重層(2階建て)建築で展望も兼ねており、その眺望は感嘆に値します。
御祭神
<主祭神>
- 瓊瓊杵命(ににぎのみこと)
- 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
<合殿神>
- 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
- 豊受大神(とようけのおおかみ)
- 豊玉毘女神(とよたまひめのみこと)
- 少彦名神(すくなひこなのみこと)
- 大山咋神(おおやまくいのかみ)
- 大名持神(おおなもちのみこと)
- 塞神三柱神(さえのみはしらのかみ)
※塞神三柱神とは…
衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)、八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)の3柱の総称
主な祭事
例 祭 日 |
恒 例 祭 |
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宵 宮 祭 7月15日 当 日 祭 7月16日 |
歳 旦 祭 1月1日 柴 灯 祭 1月3日 なまはげ柴灯祭 2月第二金・土・日曜日 新 嘗 祭 11月16日 鰰(はたはた)祭 11月下旬 除 夜 祭 12月31日 |